大判例

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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)7634号 判決

甲号・乙号事件原告

染谷早苗

ほか一名

甲号事件被告

木村達雄

ほか一名

乙号事件被告

木村篤雄

主文

一  被告木村達雄、同木村登美子は連帯して原告染谷ハツエに対して金五七〇万〇、九四八円、同染谷早苗、同染谷憲一に対して各金四五五万〇、九四八円及びこれらに対して昭和四八年四月一日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告木村達雄、同木村登美子に対するその余の請求、被告木村篤雄に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告木村篤雄との間に生じた分は全部原告らの負担とし、原告らと被告木村達雄、同木村登美子との間に生じた分は、これを三分し、その一を原告らの、その余を被告木村達雄、同木村登美子の各連帯負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一甲事件関係の申立

(原告ら)

一  被告木村達雄、同木村登美子は連帯して、原告染谷ハツエに対して金七七二万六、八三二円、原告染谷早苗、同染谷憲一に対して各金六五八万六、八三一円及びこれらに対する昭和四八年四月一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告木村達雄、同木村登美子の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

(被告木村達雄、同木村登美子)

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二乙事件関係の申立

(原告ら)

一  被告木村篤雄は、原告染谷ハツエに対して金七七二万六八三二円、原告染谷早苗、同染谷憲一に対して各金六五八万六、八三一円及びこれらに対する昭和四八年四月一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告木村篤雄の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

(被告木村篤雄)

一  原告らの請求を棄却する

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

との判決。

第三双方の主張

(原告ら)

「請求原因」

一  身分関係

原告染谷ハツエ(以下原告ハツエという)は、訴外亡染谷満(以下訴外満、もしくは亡満という)の妻、原告染谷早苗(以下原告早苗という)、原告染谷憲一(以下原告憲一という)は、亡満と原告ハツエとの間の嫡出子である。

甲事件被告木村達雄、同木村登美子(以下被告達雄、同登美子という)は、乙事件被告木村篤雄(以下「被告篤雄」という)の共同親権者である。

二  事故発生

昭和四八年三月二二日午後九時五〇分頃、訴外満は東京都大田区東矢口一丁目一四番八号、矢口幼稚園前道路(幅員七・一メートル)の中央付近を西から東へ向つて歩行中、東から道路いっぱいに並んで西進して来た被告篤雄を含む五人の中学生の運転する自転車とすれ違つたのであるが、その際右被告篤雄の運転する自転車(以下被告自転車という)に衝突されて仰向けに転倒して頭部を打ちつけ、同年四月一日午後零時五五分頃、東京都大田区所在の都立荏原病院で左急性硬膜下血腫を含む脳挫傷により死亡した。

三  被告篤雄の過失

当時現場付近は暗く一メートル位近づかなければ人の顔が識別できない位であつた。そして被告自転車を含む一団の自転車は訴外満に向つて進行して来て、まず先頭の一台の自転車が時速三〇キロ位で訴外満の前四、五メートルの所で右へすり抜けた。続いて被告車を含む四台の自転車が道路いつぱいに広がつて進行して来た。被告自転車は後速一四、五キロ位で道路中央の進行方向やや右寄りの所を走つていたが、この時左に寄つて訴外満の正面に向うことになつた。しかるに被告篤雄は、訴外満の四、五メートル手前になつて初めて同人を発見し、そしてあわててハンドルを左に切つてその左側をすり抜けようとした。しかし急ハンドルを切つたのと、スピードが出ていたため、自転車は左側へ、身体は右側へと傾いてバランスを失い、そのまま被告篤雄の肩か頭が、訴外満の頭か右肩にぶつかつて本件事故が生じた。

なお被告自転車はサドルが高く、ハンドルの握りが低くなつていて進行前方を長く見続けることができず、また当時の被告篤雄の体格からすれば高過ぎて、自転車に跨つて停止するには、左右いずれかに倒して保持しなければならないものであつたが、かかる被告自転車の形状及びこれが被告篤雄の体格に合致しなかつたことが右のごとき事故を生じせしめる原因となつた。

よつて本件事故は、被告篤雄の前方注視して歩行者との衝突を避けるべき注意義務を怠つた過失によつて生じたものである。なお当時被告自転車はライトを付けており、被告篤雄において前方を注視しておれば衝突を避け得る地点で容易に訴外満を発見できたものである。

四  被告木村達雄、同木村登美子の責任

(一) 被告篤雄は、昭和三五年二月八日生れで、事故当時一三歳一ケ月であつた。

責任能力の存否は、未成年者の加害行為について何人にその不法行為責任を負わせるかの考慮を先ずはたらかせるべきである。

本件にあつては、被告篤雄の右年齢からすると、責任能力の概念たる「該行為の結果が法律上違法なものとして価値判断されるものなるを弁識する精神能力を有する場合」の要件を充たしていないことは明らかで、事故当時同被告は責任無能力者であつた。

(二) ところで自動車と異なり高速度交通機関とはいえず、また自動車のごとく運転に免許証の携帯が必要とされるものではない。しかし一般道路を走行する場合の歩行者に対する危険性の点では自動車と異なるところはない。特に変速ギヤーが付けられ、自動車の速度に近い高速で走行できる性能を有する自転車にあつてはそうである。

よつてかかる自転車の運転者に課せられる注意義務の内容は自動車運転者に課せられたそれと同じである。

しかるに被告達雄、同登美子は、被告篤雄が希望するや、その体格に適合するかどうかも検討することなく、五段変速ギヤーによつて高速で走行することができる被告自転車を買与えているのである。そして同被告らは、被告篤雄に自動車などに接触して負傷しないようには注意しただけで、被告自転車を運転することによる他人に与えるかもしれない危害と、その防止のための注意を与えることはまつたくしなかつた。

そうだとする右被告両名は、少年たる被告篤雄の監督義務を怠り、そのため本件事故が生じたことになり、同被告らは民法七一四条により原告らの損害を賠償すべき責任がある。

(三) 仮に被告篤雄に責任能力があるとしても、右に述べたごとき高度の注意義務を要する被告自転車の運転は、一三歳余の少年が独自の判断能力によつて充分つくし得るものではなく、しかも被告自転車は被告篤雄の体格に適合していなかつたのである。

そうだとすると右のごとき被告達雄、同登美子の未成年者たる被告篤雄に対する親権者としての監督義務違反と本件事故との間に相当因果関係があり、よつて被告両名は民法七〇九条の不法行為者として賠償責任がある。

五  被告篤雄の責任

前記のとおりを本件事故は被告篤雄の過失によつて生じたものであるから、同被告は不法行為者として本件事故による原告らの損害を賠償すべき責任がある。

六  損害

訴外満は、昭和八年一一月一〇日生れの生来健康な男子で、事故当時実兄の訴外勲の経営する染谷製麺所に勤務し、毎月七万円の給与、及び毎年盆、暮あわせて一〇万円の賞与の支給を受け、原告らと共にこれで生活していた。

この製麺業は、身体が健康であれば一生継続できる仕事である。そして訴外満は生存中食事はすべて勤務先で摂つていて右給与からその費用を支出することはなかつたし、また日常用品を購入することも滅多になかつた。よつて同人の生活費は月額一万八、〇〇〇円(年額二一万六、〇〇〇円)であつた。

よつて本件事故による原告らの損害は次のとおりである。

(一) 逸失利益 一、四一五万六、九五一円

前記事実を前提とすること、本件事故なかりせば訴外満は余命たる三四・三二年間(昭和四六年簡易生命表による)、生活費を差引いた実収入があつたと認められる。この間のこの利益を現価に引直すと右金額となるところ、これを訴外満の相続人たる原告らにおいて法定相続分に従い相続すると各四七一万八、九八四円となる。

(二) 慰藉料

本件事故により原告ハツエは最愛の夫を、原告早苗、同憲一は父親を喪つた。原告らの悲しみは測り知れないものである。よつて慰藉料は、原告ハツエが二〇〇万円、その余の原告らは各一〇〇万円をもつて少なしとしない。

(三) 弁護士費用

被告達雄らは、原告らが右損害賠償について交渉を持とうとしたがこれを拒絶したので、止むを得ず弁護士に委任して本訴を提起した。その費用として原告らは右金額を負担することになる。

原告ハツエ 一〇〇万七、八四八円

原告早苗 八六万七、八四七円

原告憲一 八六万七、八四七円

七  結論

よつて、被告達雄、同登美子に対しては連帯して、及び被告篤雄に対して原告ハツエは七七二万六、八三二円、原告早苗、同憲一は各六五八万六、八三一円及びこれに対する本件事故後である昭和四八年四月一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める次第である。

「因果関係についての主張」

一  本件事故態様は、前記のとおり訴外満が被告自転車と被告篤雄の頭部に激突されて道路上に仰向きに転倒し頭部を打ちつけたものであるが、事故後訴外満の右後頭部にあざが生じていることが判明し、同部位を打つたことは明らかである。そして訴外満の死亡は「(1)左側頭葉の脳挫傷とその出血による硬膜下血腫及びその周囲の著るしい脳浮腫、(2)手術で到達できなかつた脳の深部の損傷」に起因するところ、かかる脳挫傷は右後頭部の強打によつて生じるものである。

よつて本件事故と訴外満の死亡との間に因果関係が存することは明らかである。

二  被告ら主張のごとく、本件事故前に第一事故があつたような事実はまつたくない。

事故当日、訴外満は不断のごとく実兄の経営する製麺所に出勤し、仕事を終えた後、いつものように実兄染谷勲と二人で日本酒三合位を飲み、風呂に入つて八時近くになつて帰宅した。そして八時半頃になつて原告ハツエと自転車で部屋捜しに出かけ本件事故現場に至り、付近を物色中に本件事故に遭遇したものである。この時の訴外満の飲酒量は右のとおり実兄勲と二人で三合位であり、これもいつものとおりで、とりたてて量が多いというものではない。

よつて被告らは、事故当時訴外満が泥酔していたごとく主張するがそのような事実はなく、また第一事故が生じたようなこともない。

(被告ら)

「請求原因に対する答弁」

請求原因一項は認める。

同二項中、昭和四八年三月二二日午後九時過ぎ、原告ら主張の場所付近で被告篤雄の乗つた被告自転車に訴外満が接触して倒れ、原告ら主張の日に死亡したことは認めるが、その際の訴外満の傷害の内容は不知、事故態様は争う。後記のとおり本件事故と訴外満の死亡との間には因果関係は存しない。

同三項はすべて争う。右接触は、訴外満が酩酊して道路中央付近をふらふら歩き、被告篤雄が避けた方へ寄つてきて接触し、且つ酩酊のため防禦能力を失つていて仰向けに倒れたものである。

すなわち当時一台の自転車は速度を出して道路右側を相当先に進んでいたが、被告自転車は事故現場の少し手前で他の自転車と接触して一旦停止し、再び進行を始めたもので、さして速度は出ておらず、また道路中央から左側を走行して事故現場に差しかかつたもので、原告ら主張のごとく道路一杯に並んで進行していたようなことはない。そして被告篤雄は右前方に道路を西から東へふらふらと歩いて来る訴外満を認め、そのまま直進しても接触の気遣いはない位置関係にあつたが、念のため時速二、三キロに減速して左へハンドルを切つた。ところが訴外満は、被告篤雄の避けた方へふらふらと寄つてきたために接触に至つたが、接触部位は訴外満の頭か肩であつて、顔面には接触していない。そしてこの接触時に訴外満は強く酒臭がしたし、その後池上病院に運ばれた時にも酔つて担当医師に突つかかる有様で、この時訴外満が酩酊してふらふらしていたことは明らかである。

以上の次第で本件事故は訴外満の自損行為であつて事故発生につき被告篤雄には過失はない。

同四項は争う。すなわち近時の発達した社会環境、文化、教育の進歩充実に鑑みれば、知能程度が遅れているという特別の事情のない限り満一三歳に達つした少年は一般的に責任能力を有する精神能力があるとみるのを相当とする。被告篤雄は、当時満一三歳一ケ月で、歯科医たる被告達雄の長男で成績優秀な少年であつた。よつて当然その行為の責任を弁識するに足る知能を備えて責任能力を有していたものである。従つて同被告の責任無能力を前提とする原告らの被告達雄、同登美子に対する請求はこの点で失当である。

また被告篤雄の乗つていた被告篤雄の当時の身体状況に適切な規格であり、これを買い与えた被告達雄らに監督上の過失はなく、その他の点でも監督義務の懈怠はない。

同五項は争う。被告篤雄は本件事故につき責任を負うことはない。

同六項は争う。

「因果関係不存在の主張」

一  事故当時、現場付近に山崎俊男が立つていて訴外満の行動、本件事故の模様を目撃していたのであるが、同人によると、本件事故の少し前に、本件事故現場の東寄りの道路南側の所に男女二人が自転車であらわれ、酔払つているような男の声と甲高い女の声を聞いたところ、矢口幼稚園の向側あたりで自転車の倒れる音がして、その後男(訴外満)が本件事故現場に横にゆがむような格好で歩いて来て本件事故が発生したということである。

他方原告ハツエは、本訴で訴外満と共に自転車で池上駅前道路を左折して東側から本件事故現場に至り、美雪荘前電柱脇に自転車を停め、道路の南側の路地に入つて部屋を捜したが、判らないため引き返えして本件事故現場に戻り事故に遭遇した旨説明している。

しかし原告ハツエの右説明は時間的にも常識的にも不合理であり且つ矛盾している点があつて到底信用できない。さらに本件事故後明らかとなつた訴外満の受傷部位からすると、同人の受傷は本件事故と無関係なもので、山崎俊男が目撃した第一事故によるものと認められる。

従つて訴外満の死亡は、同訴外人が酒に酔つて起した第一事故に起因するもので、本件事故とは因果関係のないものである。

以下この点を詳説する。

二  原告ハツエは自宅を自転車で出発して四、五〇分の時間を要して本件事故現場に至り、その後一五分位目的の場所を捜していたので自宅を出てから事故発生まで一時間以上を要したと述べている。

しかし原告ら宅から事故現場まで約二・七キロの距離で、被告登美子が実際に自転車で走行したところ一五分位の所要時間であつた。従つて仮に訴外満らが途中で道を尋ねたとしても最大限二〇分もあれば自宅から事故現場に到着できたはずで、この点でまず二、三〇分の時間の空白があることになる。

さらに池上医院のカルテ等から本件事故は早くとも九時二〇分頃生じたと認められる。しかるところ事故当日訴外満は午後六時頃仕事を終え、兄染谷勲と共に三合の酒を飲み、その後午後七時過ぎに銭湯に行き、そしてそこからすぐ近くにある自宅に帰つて直ちに原告ハツエを誘つて部屋を捜しに出たというのであるから、午後八時頃自宅を出たことは明らかである。

そうすると自宅から事故現場に至る時間を差引いて結局一時間以上の空白の時間があることになる。

ところで事故現場で訴外満を見た少年達、山崎俊男はすべて同訴外人が酔払つていたことを認めており、また同訴外人が救急車で運ばれた池上病院の茂野基春医師あるいは本件事故の現場のため同病院を訪れた警察官も、訴外満が酔つてあばれたり、あるいは酒気が強かつたのを現認している。

訴外満らは夕食を摂らずに外出しており、そして右のごとき訴外満の酩酊状態からすると、同訴外人は右の空白時間に酒を飲んだものであることは明らかである。原告ハツエのみが訴外満が酔つていなかつたことを強く主張するのはかかる事実があるからである。

三  次に事故現場付近で路地に入つて部屋を捜したという原告ハツエの供述も矛盾、不合理があつて到底信用できないところである。

すなわち本訴提起前、訴外満の死亡後約二週間を経過した頃に作成された原告ハツエの警察官に対する供述調書において、同原告は「自転車に乗つて来て事故にあつた地点の右側(美雪荘前)電柱のそばに自転車を停めた」とか「夫は左側の路地に入り、探しておりましたが見つからないと見え再び引き返して車の方に歩き出しました」とか、明らかに第二京浜国道方面から現場に来て路地を捜すために同方面に引き返し、次いで事故現場付近に引き返えしたとか理解できない供述部分があり、その他そのように解される訂正部分がある。

そうすると原告ハツエは警察調書では第二京浜国道方面から本件事故現場に来たといい、本訴提起後はその逆方向である池上駅前通り方向から来たと述べているわけで、かかる供述がはたして信頼に価するであろうか。

四  さらに原告ハツエの主張どおりだとすると、訴外満、原告ハツエは、午後八時頃という人を訪問したり、場所を捜したり、部屋の日当りなどを見るのにはなはだ不適当な時間に、幼い子供二人を置いて外出したことになる。そうだとすると訴外満は目的の場所を充分知つて出かけたと推認されるのに、事故現場付近で同訴外人はすぐ発見できる幼稚園を捜し回つたり、夜間人通りの少ない場所に自転車を置去りにして一五分近くも路地に入つたりしたわけで、納得のできないところである。

さらにどこの路地を入つたかについて、原告ハツエは昭和四九年三月二〇日付準備書面においては、オーム石川の横の路地を入つたと主張していたが、ところがその後の本人尋問においては三田宅の路地を入つたとその供述を変更した。同原告がこのように供述を変更したのはオーム石川横には路地が存在しないからである。

原告ハツエはオーム石川横の路地を入つた点について原告代理人に現場で指示した旨説明しているのであるが、実際は右のとおりであつて、同原告の供述は矛盾、不合理に満ちたものであつて、全く信用できない。

結局原告ハツエらは路地に入つて部屋を捜したりはしておらず、山崎俊男の述べるとおり、池上駅前通りから本件事故現場道路に入り、矢口幼稚園向側で第一事故を起したというのが真実なのである。

五  このことは事故態様からみて接触部位は、被告篤雄の側頭部が訴外満の肩が頭に接触したものであつて、顔面に接触したものではなく、また同訴外人は転倒の際地面で顔面を打つた様子もない。

しかるに本件事故後明らかになつた訴外満の受傷部位は顔全体にわたり、さらに右膝のズボンが破れ、血がにじんでいたのである。そうすると訴外満に認められた受傷部位は本件事故によつて発生するであろう傷害とは齟齬しており、従つてこれら受傷は、第一事故が身体の前面を打つようなものであることを裏づけている。

また打撃を受けた内側に脳挫傷が生じるのが通例であるところ、訴外満の死亡原因は左側頭部の脳挫傷によるものであり、この点でも顔面を打つた第一事故があつたことを裏づけている。

六  以上の次第で訴外満の死亡は第一事故によるもので本件事故とは因果関係のないものである。

しかし仮に事実的な因果関係が認められるとしても、前記のとおり本件事故は訴外満が酩酊して被告篤雄の避けた方に寄つてきて接触し、且つ酩酊のため仰向きに倒れたというものであり、且つ訴外満は事故後入院した池上病院で、原告ハツエが付添つているのにベツトから落下し、さらに便所で転倒したのである。

右のごとき事実からすると、本件事故と訴外満の死亡との間には法的には因果関係がないとみるべきである。

「過失相殺の抗弁」

仮に訴外満の死亡につき被告らに責任があるとしても、亡満の事故当時の歩行位置、方法、酩酊していて被告篤雄の避けた方に寄つてきたこと、防禦能力を失つていたこと、さらに池上病院での原告ハツエの介護義務違反を考慮するならば、損害賠償額算定において相当減額さるべきである。

第四証拠関係〔略〕

理由

第一序論

時刻及び事故態様の点はともかく、昭和四八年三月二二日の午後九時過ぎに原告ら主張の場所で被告篤雄運転の被告自転車と訴外満とが接触して同訴外人が倒れる事故が生じたこと、その後原告ら主張の日に訴外満が死亡したこと、及び当時被告篤雄が一三歳一月の未成年者であつたこと、の各事実は当事者間に争いがない。

被告らは、本件事故と訴外満の死亡との間の因果関係を争い、また被告篤雄の本件事故発生についての過失、及びその責任能力の有無も主要な争点となつている。

そこで本件事故の態様、訴外満の死亡原因等を検討して、まず本件事故と訴外満の死亡との間の因果関係の存否について判断することとする。

第二本件事故発生の状況

一  右争いのない事実及び成立につき争いのない甲第四号証の一、同第八号証の一ないし六、同第九号証、乙第二号証の七、同第三ないし第五号証、同第六号証の一ないし四、証人木村篤雄の証言、原告染谷ハツエ、被告木村登美子の各本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

(一)  本件事故現場は、東は西蒲田面へ、西は第二京浜国道へと向う東西に走る直線で平坦な幅員七・一メートルの舗装道路上の、中央線より約八〇センチ南に寄つた地点である。同所の南側にはアパート美雪荘が北側には本庄製作所蓮沼寮が道路沿いに建つている。

右地点から約三〇メートル東は、南は多摩堤方面に北は池上駅方向に向う南北に走る道路と交わる十字路となつており、その北西角には矢口幼稚園がある。

なお事故は夜間に発生したが、付近には街灯がひとつ位しかなく、現場付近は暗かつた。

(二)  事故当時被告篤雄は、塩田告、明石貴道、川砂潤一、迫某ら四人の中学生と一緒で、いずれも自転車に乗つていた。被告自転車は、二六インチの五段変速車で、ハンドルの両端の握りのところが少し低くなつているセミドロツプ式のスポーツ車である。他の四人がのつていた自転車もすべて五段変速車で、ハンドルの握りが低くなつているドロツプ式もしくはセミドロツプ式であり、そして塩田告、明石貴通の自転車にはいずれも速度計が付いていた。

(三)  この時被告篤雄を含む五人の中学生は学習塾の帰りで、西蒲田方面(東側)から自転車でライトを付けて前記十字路を横断して一団となつて本件事故現場に向つて進行して来た。

この時先頭は塩田告で、道路のほぼ中央付近を時速三〇キロ位で走行していた。その後方二、三〇メートルの所を被告篤雄を一番前に、その後方を二、三メートルの間隔を置いて明石貴道ら三台の自転車が追従していずれも時速約一二、三キロで、やはり道路中央付近を進行していた。

塩田告は、自転車のハンドルが前記のとおりドロツプ式のため下方を見ながら進行していたが、本件事故現場の四、五メートル手前になつて前方を見ると、道路の中央の前方やや左寄りの地点に訴外満が東方(自車の方)を向いて立つているのを認めた。そこで同人は右に急ハンドルを切つて訴外満の右側(同訴外人にとつてはその左側)を通過した。この時川砂潤一は前方をみていて塩田告が急ハンドルを切つて訴外満の右側を通過して行つたのを見ていたし、また明石貴道も、約一〇メートル手前から道路中央付近に訴外満が立つているのを認めていた。

しかるに被告篤雄は、この時道路中央左寄りを前記のとおり時速約一二、三キロで走行していて、約四メートル手前になつて初めて前方に訴外満が自分の方を向いて立つているのを認めた。そして衝突を避けるべく左にハンドルを切り、自転車は左に身体は右に傾いた状態で左に曲つたのであるが、訴外満が二、三歩左によつてきたため及ばず衝突に至つた。

(四)  衝突により訴外満は少し回転するような恰好で仰向きに路上に転倒し、そのまま頭を第二京浜国道の方に向けて横たわつたまま起上つてこなかつた。

被告篤雄は、衝突場所から二メートル位行き過ぎた所で停車し、自転車から降りて訴外満の様子を見るべくその傍によつた。またこの時近くにいた原告ハツエも訴外満の許に駆けより「しつかりして、どうしよう」などと声をかけたが、同訴外人は動く様子はなく、鼻血を出して唸つていた。そこで原告ハツエは近くの電話を借りて救急車を呼び寄せたが、救急車は事故現場を間違え到着に一五分近くを要し、その結果訴外満は午後九時四五分頃都内大田区所在の池上病院に運ばれた(すなわち事故発生は原告らの主張とは異なり、午後九時三〇分頃である)。

(五)  他方塩田告は、訴外満の立つていた地点から約二〇メートル行き過ぎた地点で後方の様子を見るために停車して振返つたところ、丁度右衝突を目撃した。しかるにその直後同人は前方の様子を見るために前方を向いたのであるが、「パカツ」という音を聞き、衝突された歩行者(訴外満)が路面で頭を打つたと感じた。

(六)  本件事故が発生したことは、午後九時五四分に電話で池上警察署に通知があり、そして事故後の午後一一時一〇分から三五分までの間被告篤雄及びその両親たる被告達雄らの立会のもとに警察官により事故現場付近の実況見分がなされたのであるが、この時衝突箇所に血痕が一滴付着していた。

また事故直前の塩田告の運転する自転車の速度が前約のとおり時速約三〇キロであつたことは、同人の自転車には速度計がついていて同人は自転車の速度について大体見当をつけることができるところ、同人においてこの時はその位の速度であつた旨判断しているものである。他方被告篤雄を含む同速度で走つて来た後続の四台の自転車の速度が時速一二、三キロであつたことは、明石貴道において速度計を見てこれを確認しているものである。

(七)  当時被告篤雄が通学していた東京都大田区立安方中学校は毎年六月頃身体検査を行つていたところ、被告篤雄の、昭和四七年度(第一学年)における結果は身長一五一センチ、体重四七・五キロで、昭和四八年度(第二学年)における結果は、身長一六一センチ、体重六四キロであつた。

従つて事故当時の昭和四八年三月末頃の被告篤雄の体重は六〇キロ近くであつたと推認される。

二  ところで衝突の部位につき、被告篤雄は事故直後においては警察官に対して自分の頭と相手方の頭付近が衝突した旨述べていたが、本訴提起後は相手方の肩付近に衝突した旨その供述を変更している。

どちらが真実であるかについては後に検討するとして、右認定のとおり事故現場は舗装道路であり、衝突直前被告自転車は六〇キロ近い体重の被告篤雄が運転して時速一二、三キロで走行していたのであるから、この状態で被告篤雄の頭が訴外満に衝突したのであれば、同訴外人はいわゆる頭突きを受けたと同じで、衝突部位にかなりの打撃を受け、また仰向きに転倒した際にもアスフアルト路面で相当の衝激を受けたと推認されるところである。

そこで次に本件事故後明らかとなつた訴外満の傷害の部位程度及びその死に至る経緯について検討する。

第三死に至る経緯等

一  前記甲第四号証の一、乙第二号証の七、原本の存在、成立とも争いのない甲第六号証の二の一、二、成立につき争いのない甲第二、第三号証同第四号証の二ないし四、乙第二号証の八、九、訴外満の頭部レントゲン写真の写であることに争いのない甲第五号証の一、二、証人兼鑑定人名和田宏の尋問結果により成立の認められる甲第六号証の一、同第七号証の一ないし一四(訴外満の頭部レントゲン写真)、同証人兼鑑定人の尋問結果、証人兼鑑定人茂野基春の尋問結果、証人木村篤雄の証言、原告染谷ハツエ本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

(一)  前記のとおり事故後訴外満は、救急車で池上病院に運ばれ、直ちに同病院の茂野基春医師の診察を受けることになつたが、病院到着後同訴外人は嘔吐し、その嘔吐物は酒臭が強かつた。

しかしこの頃には訴外満は鼻血は止つていて意識もあつたが、茂野医師の問に対して姓名の点はともかく、生年月日はおぼつかなく、そして不必要なことを言つて同医師につつかかつたり、診察しようとするのをはねのけたりして少し暴れた。

茂野医師は、訴外満が路上で転倒した旨聞かされたうえ同訴外人を診察したのであるが、右鼻孔に出血した跡があるのと、鼻の右上側に小さな傷があるのを認めたが、そのほかには頭部を含めて傷があるのに気がつかなかつた。そして頭部のレントゲン写真にも骨折等の異常を認めなかつたし、血圧も正常値の範囲内であつた。

そこで茂野医師は、訴外満に止血剤と暴れるのを鎮めるために鎮静剤を投与した。もつとも同医師は、訴外満が暴れるのは右のとおり酒臭がするところから、同訴外人において銘酊しているためであると判断していた。

(二)  右のごとく茂野医師が訴外満を診察しているところに、パトロールカーで巡回中、本件事故発生の連絡を受け、これが調査を命ぜられた警察官加藤孝太郎が池上病院を訪れた。同人は訴外満が頭部、顔面等に出血していること、及び酒気が強いことを認め、そして訴外満につき検的器により呼気検査をしようとした。

しかし結局右加藤孝太郎はこの検査を断念せざるを得なかつたのであるが、その理由は同人が事故当日付で作成している捜査報告書によれば「(訴外満は)口唇を負傷していて呼気させたが出来ず、意識もうろうとしていた」ためということである。

(三)  茂野医師は前記のとおり訴外満を診察した結果、「顔面挫創、右鼻出血、脳震盪症、右症により向后一〇日間安静加療を要する」旨診断し、訴外満はそのまま入院させることとした。そしてこの旨の同日付の診断書を作成し警察署に提出した。なお同医師が、「脳震盪症」と診断したのは救急隊、もしくは訴外満本人から、事故後一時意識がなかつた旨聞かされたからである。

(四)  訴外満はそのまま池上病院に入院することになり、原告ハツエはその付添にあたることになつた。

しかるにその夜訴外満はベツトから盛んに起上ろうとし、そして原告ハツエが呼びかけても正常な答をしない状態となつた。そして明け方便所に行くのに原告ハツエの肩を支える等の助力を必要とし、しかも便所から帰つてベツトに上がる際に大便をもらした。

その頃から様子がおかしくなり、午前九時頃には静かになつたが、痰がからんで意識がもうろうとしてき、午前一〇時頃には意識障害を生じ、また脳内出血等頭蓋内の障害を示す左右瞳孔の差(左側が大きい)も認められるようになつた。

そこで茂野医師は、都立荏原病院脳神経外科の名和田宏医師に連絡して午前一一時半頃、訴外満を同病院に転医させた。

(五)  荏原病院では右名和田医師が訴外満の治療にあたることになり直ちに診察したところ、訴外満は右半身が麻痺して既に半昏睡の状態で、不整脈、徐脈があり、瞳孔の左は対向反射がなく、右より大きく不同であつた。さらに脳動脈のレントゲン撮影をしたところ、前大脳動脈が右側に偏位し、しかもそれが強くなつており、頭蓋内の左半分の容積が増大し、その脳圧が亢進していることを示していた。

右のごとき症状から名和田医師は、訴外満の左頭蓋内に損傷があり、血腫もしくは浮腫が生じていて、そのために脳圧が亢進しているものと判断し、早急に開頭して脳圧をゆるめ且つ血腫等を除去しなければ危険なので手術にかかつた。

(六)  ところで名和田医師も、訴外満は自転車に衝突して転倒した旨聞かされて診察にあたつたものである。同医師が当初認めた外傷は、右鼻から鼻根部にかけてを打つたらしくそこがかなり腫脹していること、右鼻根部に硬い物による打撲によつて生じたと思われる小さな挫傷があること及び両目の主に下側が、右がやや濃く皮下出血(ブラツクアイ)していることのみで頭部には異常を認めなかつた。しかるに手術のため毛髪を剃つたところ、右後頭部に縦長のあざがあることが判明した。

さらに手術直前に看護人において訴外満の右下肢に二、三ケ所擦過傷があるのを認め、これを看護記録に記載している。

(七)  手術は、同日午後三時二〇分頃に始まり午後九時までかかつたのであるが、名和田医師において訴外満の左前頭側頭を開頭したところ、左大脳半球全体が腫脹しており、そして左側頭葉(前記右後頭部のあざの向いにあたる所)の外側面下部一帯が膨大し、脳底寄りに脳挫傷があつてその出血による硬膜下血腫及びその周囲に著るしい脳浮腫が認められたほか、左前頭葉の側頭寄りにも一部挫傷が認められた。なお頭蓋骨折、硬膜の損傷、硬膜外出血については認められなかつた。

そこで名和田医師は、右血腫の除去、脳の壊死部分並びにその周縁の切除、頭蓋の骨斥を切除する減圧術及び開頭後は脳が膨くらんで元に納まらないので、人工硬膜小片を当てて脳をつつむ硬膜を拡げる硬膜形成術をそれぞれ施行した。その際脳の中心(脳底の内側)に向つて腫れがひどいところから、同医師は脳の深部にも損傷があるのではないかと疑いを持つたが、腫れていて露出させて確認することは困難だつた。そこで特殊の針を用いて腫張部分を穿刺したところ、血腫はないようなので、同医師はそれ以上の検索は打切ることにした。

(八)  手術後の訴外満の容態は、翌三月二四日から二七日の午前中までは、意識はやはりもうろうとし、右半身の不全麻痺が続くなどの危篤状態にあつたが、呼べば時には開眼し、また身体を動かすこともあり、好転するかに見えた。

しかるに二七日の午後になつて熱が上つて三八度台となり、翌二八日には三九度に達つし、白血球が増多し、意識障害も悪化してきた。二九日には右半身の不全麻痺が増悪してきてあまり身体を動かさなくなり、さらには呼吸困難となり、肺の右前下にラツセル音が聞こえるようになつた。

そのため名和田医師は、肺炎等の合併症が生じたのではないかと懸念し、内科に訴外満の検診を依頼した。しかし内科所見では、肺炎は生じておらず、その他の検査にも異常はないとのことであつた。

かくのごとき内科所見に照らし、名和田医師は、訴外満の容態が悪化しているのは、頭蓋内に再び血腫が生じているからではないかと考えるに至つた。そこで三月三一日に頸動脈撮影をおこなつたところ、前大脳動脈の偏位が戻つていることがうかがえたが、それ以上の検査は訴外満の容態を考え施行しなかつた。

その後訴外満の容態は呼吸困難等急速に悪化し、結局四月一日午後五時五五分に死亡した。

(九)  一般に硬膜下血腫の損傷を蒙ると助かることはなく、手術をしても成功する見込みは極く少ない。訴外満に関しては一且は手術は成功したかとも思われたのであるが、やはり死亡するに至つた。

なおその原因について、名和田医師は、手術で到達できなかつた深部に脳がかなりの損傷を蒙つていたためではないかと判断している。

二  そこで右事実を前掲として池上病院に運び込まれた後死亡するまでに訴外満につき認められた外傷につき検討するに、警察官加藤孝太郎がその捜査報告書に、池上病院で現認した旨記載している訴外満の口唇の負傷は、同人の他にかかる負傷を見た者はないこと、及び同人は訴外満が嘔吐した後に池上病院を訪れており、口に付着した嘔吐物をもつて負傷していると判断したのではないかと推認されること(原告染谷ハツエは、訴外満が血痰を吐いた旨述べている)、からすると同人の誤認だつたと認められる。

次に証人兼鑑定人名和田宏の供述がやや混乱している点があるも、同医師が訴外満を最初に診察した際、右認定のとおり同訴外人の鼻付近に、右鼻から鼻根部の腫脹、及び右鼻根部の小さな挫傷の二つの外傷を認めたことは、右供述全体の趣旨並びに同医師が最初に訴外満を診察した際に同医師が記録した診療録部分に、右鼻から鼻根部にかけてひどく腫脹している旨の記載が残されていること(甲第六号証の二の一、二頁目)等から明らかである。

三  そうすると池上病院、荏原病院で茂野医師、名和田医師らによつて確認された訴外満の外傷は、(イ)右鼻孔の出血、(ロ)右鼻根部の硬い物による打撲によつて生じたと思われる小さな傷、(ハ)右鼻から鼻根部にかけての腫脹、(ニ)右後頭部のあざ、(ホ)右下肢の擦過傷ということになる。

そして右外傷の部位、態様及び証人兼鑑定人茂野基春、同名和田宏の各尋問結果を総合すると、池上病院に運び込まれる直前に訴外満は右鼻付近を強く打つて右鼻孔から出血したこと、及び訴外満に右に認められるほかに外傷がないとすると、同訴外人の死亡原因となつた左側頭葉の脳挫傷は、その部位に鑑み、右後頭部のあざの原因となつた打撲のコウトウルクー(反動による障害、打撲を受けた反対側に障害が生ずること)によつて生じたことになること、訴外満の脳挫傷の態様からすると、同訴外人が池上病院で茂野医師の診察を受けた際に生年月日を間違えたり、暴れたり、あるいは茂野医師につつかかつたりしたのは、この時既に打撲による朦朧状態にあつたと見ることができること、がそれぞれ認められる。

第四因果関係についての断判

一  前記のとおり被告篤雄は、衝突部位につき事故直後においては警察官に対して自分の頭が相手方の頭付近に衝突した旨述べていたが、本訴提起後は相手方の肩付近に衝突した旨その供述を変更している。

しかし同被告が警察官に対して頭どおしが衝突した旨供述したのは、事故直後の両親たる被告達雄、同登美子の立会のもとになされた警察官による実況見分の際、及び訴外満死亡前の昭和四八年三月二八日になされた父親たる被告達雄立会の取調の際のことである。

そうだとするとこれら供述は記憶の新らしいうちに任意になされたものであり、信頼の措けるもので、その後被告篤雄がその供述を変更するに至つたのは、訴外満の死亡という重大な結果が生じたため、その責任を免れんためであると考えられる。そして事故当事被告篤雄と同行していて本件衝突事故を目撃した明石貴道、塩田告の目撃したことも、右判断を裏づけこそすれ、これを矛盾するものではない。

もつとも事故当時、事故現場北側の本庄製作所蓮沼寮入口付近に立つていた証人山崎俊男は被告篤雄の頭が訴外満の肩から下付近に衝突し、訴外満が尻もちをついたような形でくずれ落ちるような感じで倒れるのを目撃した旨供述する。しかし後記のとおり同証人の証言の信ぴよう性について疑問があるばかりでなく、右に述べる訴外満の転倒の状況も他の目撃者とまつたく異なつており、到底措信できないところである。

二  前記本件事故発生の状況においてみたとおり、訴外満は被告自転車に正面から衝突されて仰向きに転倒し、その直後から同訴外人は鼻血を出していたことからすると、結局被告篤雄の頭部が、その後腫張が認められた右鼻から鼻根部にかけて衝突したと見るのが妥当であろう。前記のとおり被告自動車の速度、被告篤雄の体重等からすると訴外満は衝突によりかなりの打撃を受けたと考えられるところ、この点でも右受傷状況と合致している。

そして訴外満は衝突によりかなりの打撃を受けたと推認されること及び前認定のとおり訴外満は少し回転するような恰好で仰向けに転倒し、且つ塩田告が約二〇メートル離れたところで「パカツ」という音を聞いていることからすると、右転倒の際も訴外満は右後頭部に、後にあざの原因となつた強い打撃を受けたと認められる。

三  以上の次第で本件事故の状況、及び事故後明らかとなつた訴外満の受傷部位、態様はすべて被告篤雄の頭部が訴外満の顔面に衝突し、その結果同訴外人は仰向きに転倒して右後頭部に打撃を受けて左側頭葉に脳挫傷の損害を生じ、これが致命傷となつて同訴外人が死亡したことを裏づけている。

なお、証人木村篤雄の証言、証人兼鑑定人名和田宏の尋問結果によれば、事故当時被告篤雄は眼鏡をかけていたこと、そして訴外満の右鼻根部にあつた硬い物によつて生じたと思われる小さな傷は眼鏡によつても生じ得るものであることが認められ、また右下肢の擦過傷についても被告篤雄の頭部が訴外満の右顔面に衝突したという事故状況からすると被告自転車が衝突して生じたと見て何ら不合理はない。

従つてこの二つの傷の存在は何ら右判断を左右するものではない。

四  しかるところ被告らは、本記事故の少し前に本件事故現場の東にある交差路の西側付近で訴外満の乗つていた自転車が転倒するという第一事故があり、その際の打撲によつて前記傷害等が生じたものである旨主張する。

そして、証人山崎俊男はこの第一事故を目撃したと供述し、被告らは山崎俊男のこの供述が信頼できる根拠として原告ハツエの本件事故現場に来るに至つた経緯等の供述は矛盾した不合理なもので信用できないのみならず、その供述の時間的な矛盾からすると訴外満が本件事故の少し前に飲酒していたことが窺われ、そのため酩酊して第一事故及び本件事故が生じたものであると主張する。

しかし原告ハツエの供述が矛盾しているとの被告らの主張は牽強付会で到底採用できず、また証人山崎俊男の供述は後に述べるとおり措信できないものである。

五  まず原告ハツエの供述について検討するに、証人染谷勲の証言、原告染谷ハツエ本人尋問の結果を総合すると、後に見るとおり訴外満は事故当時兄染谷勲の営む製麺所に勤務していたのであるが、その毎日の生活は、毎朝午前七時前に兄の許に出勤し、夕方五時半頃まで働き、そして後片付けをした後、午後六時頃から兄一家が夕食をしている傍らで自分は食事を摂ることなく兄と共に清酒三合位を兄と一緒に一時間かけて飲み、その後近くの銭湯に行つてそのまま帰宅するが、帰宅時間は午後八時頃になる、というものであり、事故当時も不断と変わりがなかつたこと、なお兄染谷勲方と訴外満方とは自転車であれば一〇分も要しない近くであつたことがそれぞれ認められる。

そして本件事故現場に至つた経緯につき前記甲第八号証の三(警察官に対する供述調書)、本人尋問において原告ハツエは大略次のように供述している。すなわち事故当時夫満は午後八時過ぎに帰宅して「一緒に出かけよう」と言つたのであるが、子供が大きくなつて部屋が手狭になつていたので、かねてから広い部屋を捜しているところであつたから部屋を捜しに行くのだろうと思い、くわしいことを聞かないまま自転車を連ねて外出し、そして四、五〇分かかつて本件事故現場に至つたが、事故現場には西蒲田方面から到着し、そして美雪荘前にある電柱付近に自転車を停め、その先の第二京浜国道寄りの所の路道を左折して捜したが、夫は目的地を見つけかねているようであつた、そこで路地を出て自転車を置いた所に戻ろうとしたのであるが、夫は道路の中央方向に出て行き、そして本件事故に遭遇するに至つた、というものである。

被告らは、訴外満が帰宅したのが午後八時を過ぎていたことはあり得ず、従つて訴外満、原告ハツエが自宅を出発したのは午後八時頃であることを前提とし、そして原告ハツエが述べたとおりの順路を被告登美子が自転車で走行したところ約一五分で本件事故現場に至つたことをもつて原告ハツエの供述は矛盾しており、そして訴外満、原告ハツエの行動に一時間余の空白がある旨結論づけている。しかし、訴外満の当日の行動から考えて同人が午後八時過ぎに帰宅しても何ら不自然はなく、この点の被告らの主張は牽強付会というほかない。さらに原告ハツエが所要時間を幾分多めに述べているかもしれないが夜間自転車を連ねて走行すれば普通よりも当然時間を要するところであり、また同原告は、当時訴外満は道順を充分知らなかつたようで途中交番所で道順を聞いていたと述べているのであるから、自宅を出発してから本件事故現場まで四、五〇分を要したと述べたからといつて原告ハツエの供述が措信できない根拠とはなし得ないところである。

また被告らは前記甲第八号証の三の原告ハツエの警察官の供述調書中に「本件事故現場に来て右側(美雪荘前)の電柱のそばに自転車を停めた」とか「再び引き返えして車の方に歩き出した」とか、同原告らが第二京浜国道方面から本件事故現場に至つたと解される記載及びそのように解すると納得のいく訂正箇所があるところ、同原告は本訴での本人尋問においては本件事故現場に西蒲田方面から到着した旨供述を変更しており、よつて同原告の供述は措信できないと主張する。

しかし右のごとく原告ハツエの供述に混乱があるのは、供述調書を素直に読めば、同原告らが自転車を停めて第二京浜国道方向に行き、引き返えす途中に本件事故が生じたため、その経過を警察官にうまく説明できず、そのため訂正を要し且つ左右の指示が混乱していることは明らかである。

そうだとすると右のごとき混乱があることは本件事故現場での訴外満の行動が原告ハツエの供述どおりであり、第一事故を目撃したという証人山崎俊男の供述が措信できないことを裏づけている。

すなわち同証人は事故当時、事故現場北側の本庄製作所蓮沼寮入口付近に立つていたところ東側西蓮田方面から自転車でやつてきた男女二人が十字路西側の矢口幼稚園の向側あたりで接触事故らしいものを起した音を聞いた、そしてその後すぐにその付近から訴外満が酒に酔つた様子で事故現場まで歩いて来て、同じく東の方からやつて来た被告自転車に接触される事故が生じたと供述する。

すなわち同証人は、訴外満らが本件事故現場付近にやつて来てすぐに本件事故が発生した旨供述するが、この点同証人の記憶違いと解さざるを得ない。

被告らは、路地に入つた旨の原告ハツエの供述が措信できない理由をいろいろとあげるが、同原告は証人山崎俊男の証言がなされる以前の事故直後からそのように供述しており、そしてその時点においてその点について偽りを述べねばならぬ必要はなかつたわけで、被告らのかかる主張は到底採り得ないところである。

右のごとく証人山崎俊男の供述は事実と反しており、そして同証人は本件事故発生後三年を経過した後被告らによつて捜し出された証人でしかも同人は本件事故は訴外満が酔つていたため自転車に接触して倒れただけのものと思つていたというのであるから、結局第一事故を目撃したという同証人の供述は記憶違いと解され、到底措信できないものである。

六  なお被告木村篤雄は、事故後池上病院で訴外満の額に傷があるのを見た旨供述するが、前記のとおり訴外満は池上病院及び荏原病院で診察を受け、カルテが作成されているが、かかる記載はまつたくなく、措信できないところである。また被告木村登美子は、訴外満が池上病院で酔つて暴れたり、便所で転倒したりしたのを目撃した者がおり、これが本件事故の原因となつていると看護婦等から聞かされた旨供述するが、看護日誌等にはかかる記載はなく、かえつて前記のとおり訴外満は池上病院に運ばれた当時から意識障害があつたと認められるので到底採用できないところである。

七  以上の次第で本件事故前に第一事故があつたとか、池上病院で訴外満が転倒したとかの被告らの主張は認めることはできず、そして前記のとおり本件事故の態様、及び訴外満の外傷はすべて訴外満の死亡が本件事故によるものであることを裏づけている。

結局訴外満の脳挫傷がコウトウルクー(反動による障害)という希な原因によつて生じたことを除けば、訴外満の死が本件事故によるものであることは明らかである。そして脳挫傷が希れではあれ、かかる態様によつて生じることは公知とはいえないまで、知られてもいるところである。

第五被告篤雄の過失並びに責任能力の有無

一  前記のとおり本件事故発生時被告篤雄の後方にいた明石貴道、川砂潤一は前方を見ていて約二〇メートル後方から塩田告が訴外満を避けて右に急ハンドルを切つて走行して行つたのに気づいており、また約一〇メートル手前で道路中央付近に訴外満が立つているのを認めているのに、被告篤雄は下方を見ていて四・五メートル手前になつて初めて同訴外人に気づいたのであるから、同被告の前方不注視によつて本件事故が生じたことは明らかである。

なお被告らは、訴外満に酒臭がしたこと、及び同訴外人が被告篤雄の避けた右側に寄つてきたことをもつて、同訴外人が酩酊して右によろめいたことが本件事故の原因だと主張する。しかし前認定のとおり、訴外満にとつては最初塩田告の自転車がかなりの速度で対向して来て急に右折して自己の左側を通り抜けた後被告自転車が進行して来たわけで、そうすると同訴外人が右に動いたのは被告自転車も自分の左側を抜けていくだろうと判断したためと推認できる。そして前記のとおり訴外満が当時酒気を帯びていたことは認められるも、本件事故現場まで自転車で来ていること、及び右に述べたとおり被告自転車を見て右に動いたのはそれなりの理由があつたと推認できることなどからすると被告ら主張のごとく訴外満の酩酊が本件事故の原因だとは認められない。

もつとも訴外満においても道路を横断する際に右方から進行して来る一団の自転車を認め得たはずで、夜間であることを考慮すると、これら自転車との距離、その速度に注意を払う必要があつたところ、その点に配慮することなく道路中央に向つて出たものと認められる。そして同訴外人のかかる不注意及び塩田告が同訴外人の直前で右に急ハンドルを切つたことも本件事故の原因となつていると認められ、その点では被告篤雄にとつても不運な事故だつたともいえる。しかし根本的には同被告の前方不注視が本件事故の原因であることは先に見たとおりである。

二  次に被告篤雄の責任能力の有無であるが、事故当時同被告が一三歳一ケ月であつたことは被告らの認めるところである。そうだとすると同被告はまだ中学一年生であつたわけで、かかる年齢、及び教育程度の者は本件事故につき法律上の責任を負うべき旨の弁識能力を具えていると認められず、責任無能力者であると断ぜざるを得ない。

そして前記のとおり被告篤雄の乗つていた被告自転車はセミドロツプ式のスポーツ車であり、且つ同被告の前方不注視が本件事故の原因となつている等の事情を考慮すると、同被告の両親たる被告達雄、同登美子が、被告篤雄の監督義務を尽くしていたとは認め難いところである。

よつて被告篤雄は、本件事故の結果について責任を負うことはないも、被告達雄、同登美子は、被告篤雄の監護義務者として本件事故によつて生じた原告らの損害を賠償すべき責任があることになる。

第六損害

前記甲第四号証の一、証人染谷勲の証言、原告染谷ハツエ本人尋問の結果によれば、亡満は、昭和八年一一月一〇日生れの事故当時三九歳の男子であつたところ、総入歯で、従つて胃が弱かつたのではないかと窺われるが、歯医者についてはともかく特に医者にかかるということはなかつたこと、事故当時染谷勲の営む製麺所に勤務し、麺製造の仕事に従事して毎月七万円及び賞与として少なくとも年間一〇万円の収入を得ており、また早朝からの仕事であるため朝食は勤務先たる実兄方で摂つていたこと、なお給与がやや低額なのは兄弟協力して将来店を持とうとの計画があつたためであること、がそれぞれ認められる。

右事実を前提として本件事故による原告らの損害を算出すると次のとおりとなる。

(一)  逸失利益

前記事実を前提とすると、訴外満の年収は九四万円となるところ、その生活費は収入が低いことや、朝食を兄の許で摂つていたことに鑑み、収入の四分の一とみるのが相当であり、これを差引くと年間実収入は七〇万五、〇〇〇円となる。

そして訴外満の稼働期間は、前記仕事の内容、身体の状態等を考慮すると六七歳までの二八年間とみるのが妥当なところである。よつてこの期間、右実収入を得るとみてライプニツツ方式によつて現価に引直すと一、〇五〇万三、一六〇円となる(係数一四・八九八一)。原告らと訴外満との身分関係については当事者間に争いがなく、よつて原告らは各三分の一づつ右逸失利益を相続することになる。

(二)  慰藉料

慰藉料として原告ハツエは二〇〇万円、その余の原告らは各一〇〇万円を請求しているところ、本件事故によつて訴外満が死亡したことによる慰藉料相当額はこれを下回らないと認められる。

(三)  過失相殺

前記のとおり本件事故発生は訴外満が不注意に道路中央に出たことも原因となつている。しかし前記のとおり本件事故は根本的には被告篤雄の前方不注視が原因である。

そこで右に説示したように原告らの慰藉料請求額が低額であることをも勘案し、訴外満の逸失利益についてのみその一割を減ずる程度で、訴外満の右不注意を斟酌することとする。

そうすると原告らが被告達雄、同登美子に請求できる訴外満の逸失利益の相続分は三一五万〇、九四八円となる。よつて右慰藉料を合算すると、右被告らに請求できる額は原告ハツエが五一五万〇、九四八円、その余の原告らが四一五万〇、九四八円となる。

(四)  弁護士費用

本件は自転車による事故とはいえ、死亡事故であるところ、被告らは事故態様をも争つて本訴が提起されるまでまつたくその責任を果たそうとしなかつたのである。かかる事情を考慮すると本訴を提起するに要した弁護士費用は本件事故による損害とみるのを相当とする。

その額は、本件審理の経緯、被告らの抗争の態度、及び認容額等を考慮して原告ハツエにつき五五万円、その余の原告につき各四〇万円をもつて相当とする。

第七結論

よつて原告らの本訴請求は、被告達雄、同登美子に対して連帯して原告ハツエにおいて五七〇万〇、九四八円、その余の原告において四五五万〇、九四八円及びこれらに対する本件事故後で訴外満の死亡した日である昭和四八年四月一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこの限度で認容し、被告達雄、同登美子に対するその余の請求及び被告篤雄に対する請求はいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部崇明)

決定

原告 染谷早苗 外二名

被告 木村達雄 外二名

右当事者間の昭和四八年(ワ)第九、〇五八号、同五一年(ワ)七、六三四号損害賠償請求事件につき昭和五二年一二月二〇日言渡した判決中に明白な誤りがあつたので、次のとおり決定する。

主文

右判決一枚目表九行目に「右原告両名法定代理人親権者母」とあるのを「右原告両名法定代理人親権者母兼原告」と、同一九枚目表六行目から同九行目までを「三 甲第五号証の一、二は訴外染谷満の頭部のレントゲン写真の写であることは認める、同第六号証の一の成立は不知、同第六号証の二の一、二の原本の存在、成立は認める、同第七号証の一ないし一四は作成年月日作成場所はいずれも不知、その余の甲号証についてはいずれも成立を認める。」とそれぞれ更正する。

(裁判官 岡部崇明)

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